HOME

更新日 :2019年11月28日

【プロが認めた匠の技】煉瓦の名門 三代目・髙山 登志彦さん

この記事をシェアする FaceBook X LINE Pinterest

 

理に叶った美しさを紡ぎだす

相対性理論で有名なアインシュタイン博士は「宇宙は物理の法則で動いているからこそ美しい」という言葉を残しています。

建築の世界でも、構造や機能性を踏まえたデザインは「理に叶った美しさ」を演出します。

髙山煉瓦建築デザインの髙山登志彦さんが紡ぎだす素晴らしい煉瓦建築も、見た目の美しさの裏に、物理の法則にしっかりと裏

相対性理論で有名なアインシュタイン博士は「宇宙は物理の法則で動いているからこそ美しい」という言葉を残しています。

建築の世界でも、構造や機能性を踏まえたデザインは「理に叶った美しさ」を演出します。

髙山煉瓦建築デザインの髙山登志彦さんが紡ぎだす素晴らしい煉瓦建築も、見た目の美しさの裏に、物理の法則にしっかりと裏付けられた構造性・機能性を踏まえて制作されているのです。

付けられた構造性・機能性を踏まえて制作されているのです。

煉瓦の名門として

髙山家は、伝説のホテル川久や山口県立美術館など戦後日本を代表する煉瓦建築の多くに関わってきた煉瓦職人の系譜です。

三代目・髙山登志彦さんは、父である彦八郎氏が手掛ける超一流の煉瓦建築を間近に見ながら育ち、16歳で煉瓦職人としての第一歩を踏み出しました。

煉瓦の歴史は古く、メソポタミア文明以来、実に6000年以上の歴史の中で鍛えられ育まれてきた建築資材です。

火に強く、経年変化に味わいが出るという特性に加えて、自然素材なので周囲の風景ともなじみやすい等々、建築資材として数多くの利点を持っていますから、数千年に渡って世界中で使われてきたのも頷けます。

日本でも明治期に本格的に紹介されるや、数多くの建築で煉瓦が採用されてきました。

当時の東京駅周辺の写真などを見ると、いかに多くの建物が煉瓦造りであったかが分かります。

ただ、そのまま構造物として使うと地震に弱いということもあり、特に日本では関東大震災以降は化粧材として使われることが多くなってきました。

三代目として煉瓦職人の道を歩み始めた髙山登志彦さんにとっても、大半の仕事は化粧材として煉瓦を扱うことでしたから、煉瓦をどう美しく見せるかという意匠面に多くのエネルギーを注いで仕事をしていました。


グローバルキッズ飯田橋園


金城学院 礼拝堂

イギリスで知った「本物の煉瓦建築」

「煉瓦職人」として恵まれた環境にあり、生来の凝り性だったこともあって職人としての道を歩み始めるやメキメキと腕を上げていた30代の髙山さんは、より一層腕を磨くためにイギリスで修行することを決意します。

そのイギリスで、髙山さんはそれまでの自信を木っ端微塵に打ち砕かれます。

助手として入った建築現場で、イギリスのレンガマイスターである監督から「トシ、お前ならこのアーチ部分をどういう風にデザインする?」と聞かれた髙山さんは「デザインなら任せとけ」とばかりに自分のアイデアを開陳しますが、監督から「なぜそういうデザインにしたのか理論的に答えてみろ」と言われて言葉に詰まります。

ところが、監督から同じテーマを投げられた18歳位の若い職人は「基本構造がこうなっているから、その上でこういうデザインをすると構造的にも意匠的にも優れている」と実に理に叶った説明をするのです。

自分よりはるかに若いイギリスの煉瓦職人の理路整然とした説明に、煉瓦を扱い続けてきた国の歴史の重みを知ると同時に「化粧材としての煉瓦ばかりを考えていた」自らの不明を深く恥じ入ることになった髙山さんは、内外のあらゆる文献を読み漁ると同時に周囲の職人達を質問攻めにして「建築に煉瓦を使うとはどういうことなのか」を徹底的に研究します。

その猛鍛錬の結果、「基本構造を踏まえて“重力を味方につける”ことの重要さ」を強く認識するようになり、その上で「いかに美しいデザインを調和させるか」を考えてこそ最高に強く美しい煉瓦建築ができあがるという思想を確立したのです。


洲本図書館


富岡駅アプローチ部分

職人の矜持を伝えていきたい

職人の世界に若手がなかなか入ってこない現状を、髙山さんはたいへん危惧しています。

「設計者や工務店の言いなりになって無難に仕事をする『作業員』と化している職人が多いので、魅力的な仕事に映らないことも大きな要因です」「職人とは技を磨いて良い仕事をするだけでなく、建築全体にまで目配りした上で、良い建築のためならば相手が誰であっても必要な事は伝えるというコミュニケーション能力を持つこともすごく重要なのです」と髙山さんは強調します。

「職人同志で固まり過ぎるな」というのも髙山さんの口癖。

「職人こそ幅広い視野が必要だし、さらに言えば職人は一芸に秀でるだけでなく二芸はあって施主や設計者と様々なコミュニケーションができるようになるべきだと思う。江戸時代の職人は正にそういう存在だったからこそ「粋」だと言われたのですから」

職人としての誇りが持てるような仕事をしていきたいし、そういう仕事を積み重ねることが若い人たちから魅力的な仕事だと思ってもらうことにつながる・・・髙山さんはそう信じています。


公共施設のアプローチ


勝浦市芸術文化交流センター

日本の煉瓦技術を世界へ

これまで化粧材としての使われ方が圧倒的だった日本の煉瓦技術ですが、髙山さん自身が手掛けた(世界遺産 富岡製紙場の入り口である)富岡駅改修工事では、主構造を鉄骨で建築するS造ながら、周囲を囲む煉瓦が鉄筋を圧縮することでより強い構造物を作ることに成功するなど、煉瓦の新しい可能性への挑戦が始まっています。

2016年12月の糸魚川大火において、周囲が焼け落ちる中で唯一ほぼ無傷で残った住宅がステンレスと煉瓦を組み合わせた壁だったことも注目され、建築資材としての煉瓦は復権への道が整いつつあります。

煉瓦建築の第一線を走ってきた髙山登志彦さんは、「もっともっと煉瓦の良さを知ってもらって、日本で煉瓦建築を広めたい」と思う一方で、「その技術を世界で問うてみたい」という希望も持っています。

「日本人のフレンチシェフがパリで評判になるように、西洋から入ってきた煉瓦建築を日本人の精緻な感性で逆輸出したいのです。そんな職人が出てきてこそ『後に続こう』という若者が出てくるはずですから!」

日本を代表する煉瓦職人・髙山登志彦さんの夢が実現する日はそう遠くはないように思います。

高山煉瓦建築デザイン
http://www.tbd.co.jp/

取材後記

素敵な笑顔が魅力的な髙山さんは、職人さんというよりも有能なビジネスマンという風情。

「職人の地位向上のために俺が頑張る」という言葉が気負いなく聞こえるのも人柄でしょう。(取材:上野)

私が推薦します

建築家
石嶋 寿和

先輩建築家から「良い職人さんを紹介するよ」と言われて、一緒に飲んで意気投合したのが髙山登志彦さんとの出会い。

初めて仕事をお願いした亀戸の保育園では、髙山さんの提案で煉瓦の壁に列車や新幹線を描こうということになり、関係者や児童からも大好評でした。

その後も、一緒に仕事をすると「こんな事をやりましょう」「こういうアイデアはどうでしょう」と実に積極的に提案してくれ、時には彼をセーブすることもあるほどです(笑)。

彼の提案やアイデアは単なる思い付きではなく、豊富な知識や経験に基づいているので、こちらとしても「なるほど」と納得することが少なくありません。

私にとっての髙山さんは仕事を依頼する職人さんではなく「どうすればもっと良い建物になるか」を一緒に考えてくれる貴重なパートナーであり、新しい建築の依頼が来た時には「またこの人と仕事がしたい」・・・そう思える稀有な存在なのです。

石嶋設計室
http://ecg-man.com/